時の流れを超え、
心の平和を求める旅人たち
の安らぎの場所

NEWS

令和 6年度 年間行事ご案内掲載しました。
令和 5年12月 1日 ホームページのリニューアルを実施いたしましたので、お知らせいたします。
令和 5年度 厄祓い護摩供のご案内 ※新型コロナウィルス感染症対策についてお知らせとお願い!
令和 4年度 厄祓い護摩供のご案内 ※新型コロナウィルス感染症対策についてお知らせとお願い!
令和 2年 4月 疫病拂ノ符  新型コロナウイルスの感染終息を願いご祈祷致しました。
成就院

本山修験宗

華楽山 成就院

【本山修験宗 聖護院門跡】

成就院について

 本山修験宗 華楽山 成就院は【本山修験宗 聖護院門跡】が本山の末寺として、ご本尊、大日大聖不動明王をお祀りしております。郡山駅より25分程の距離ながら、自然が豊かな心安らぐお寺です。
春の訪れを福寿草が告げ、桜が咲き、夏には雨に濡れた紫陽花が美しく、田んぼが青々と輝き蝉の声が聞こえ、秋は黄金色の稲穂が揺れ紅葉やイチョウが色づき、冬は一面の雪景色…と季節の移り変わりを楽しめます。


 当寺院は、祈願寺として1200年余、人々の様々な悩みと不安を軽減し、安心、安全に過ごせる様、様々な祈祷、御祓いを行ってまいりました。時代の移り変わりと共に悩みも多様化し、その中の一つとしてお墓に関する悩みが増える現状を解消できるよう、永代供養・納骨墓「成就庵」を設け、永代に供養して参ります。いつの時代も人々の心に寄り添った温かい寺であり続けたいとの思いで精進しております。

春の訪れと共に、お寺の境内
は桜の花が満開に咲き誇り、
訪れる人々の心を清らかな気
持ちに満たしています。

夏の日差しはお寺を照らし、
静かな庭で禅の修行を行う。
夏の風に吹かれながら内なる
平和を見つけます。
訪れる人々は木陰でくつろぎ、
心と体をリフレッシュします。

秋になると、お寺の庭園は
紅葉に覆われ、色鮮やかな
景色が訪れる人々の心を魅
了します。
その瞬間にただただ感謝の
気持ちで心が満たされます。

冬の訪れと共に、お寺は雪に覆
われ、静寂の中に包まれます。
静かな雪景色は、瞑想と内省に
打ち込む人々にとって穏やかな
静けさをもたらします。
新たな年を迎える準備を整える
合図となります。

成就院の歴史

 成就院の歴史は1200年以上前に遡る、西暦758年~811年 桓武天皇(西暦737年~806年)時代坂上田村麻呂(西暦758年~811年)平安時代の公郷、武官、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人である。二度に渡り征夷大将軍となり、現在は武芸の神や厄除けの大神として親し、田村郡、田村町、田村市など田村とつく名は坂上田村麻呂の名が発祥となっている。

桓武天皇時代、坂上田村麻呂が征伐、武者修行に36名の大先達を率いて成就院の開祖、四教皇子が建立したと古文書より知り得る。正親町天皇(西暦1517年~1593年)織田信長必勝祈願(応仁・文明の乱)を元信法印が祈祷とある。成就院の前は円正院と寺院の名も違った西暦1717~1789年光格天皇時代 寛政10年より成就院と寺院名が変わる明治神仏分離令(明治元年~)により神と仏は分断され、当時の国民の精神生活の再編の施策の一環として行われたが、それによって修験道、陰陽道、神職、伝統的宗教が打撃を受けた。仏様は分断、壊され、首なしとなり、その為に本来の古い石仏、書物も破壊され焼かれ川に流された。

成就院の歴史もそんな中で残った数少ない古書により、又易学、運勢は代々口伝によって伝えられ守られている。目まぐるしく変わり流れる時代の中、「成就院」は知られざる空白の期間があり、度々寺院名も変わる中、変わらずに受け継がれてきた秘法、祈願を守り続けられる寺院です。

成就院に伝わる古文書

古文書によると、 100年に一度の周期で疫病の流行があったとされます。
当時も人々の不安を破うため「まじない符」や「加持祈願」を行っておりました。

古文書によると、 100年に一度の周期で疫病の流行があったとされます。
当時も人々の不安を破うため「まじない符」や「加持祈願」を行っておりました。

授与品(お守り・絵馬)

健康のお守り

縁結び・出産のお守り

厄除け関係のお守り

当院では、お札、お守り、絵馬などの授与品を提供しております。現在、新型コロナウイルスの感染が国内外で広まっており、ご参拝が難しい状況が続いています。そのため、ご来院いただけない皆様のために、御祈祷、授与品、御朱印を郵送にて提供させていただいております。

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